大判例

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東京地方裁判所 昭和49年(ワ)20号 判決

原告

太洋観光株式会社

右代表者

赤羽正富

右訴訟代理人

松村弥四郎

被告

小田敞晤

右訴訟代理人

足立邦夫

主文

被告は原告に対し金七万五〇〇〇円及びこれに対する昭和四七年三月一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

原告のその余の請求を棄却する。訴訟費用は、これを一〇分し、その一を被告の負担とし、その余を原告の負担とする。

この判決は一項にかぎり仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一、請求の趣旨

被告は原告に対し八九万三四〇〇円及びこれに対する昭和四七年三月一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告の負担とする。

仮執行宣言

二、被告の答弁

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

第二  当事者の主張

一、請求の原因

1  原告は銀座においてクラブ「ロリータ」を経営しているが、訴外河野万里子は、昭和四六年一一月二九日からいわゆるホステスとして右クラブで勤務するようになつた。

2  原告は、同年一二月六日河野との間で次の内容の契約を締結した。

(一) 河野は、同人が右クラブにおいて指名されて接待にあたつた顧客の飲食代金についてその支払の責任を負うこと(以下本件責任約款という。)。

(二) 河野が右ラブを退店する場合において、原告に対し貸金債務及び本件責任約款に基づく債務を負つているときは、退店の日から五日以内にその債務を完済すること

3  被告は、同日原告に対し、河野が原告に対して負う貸金債務及び本件責任約款に基づく債務につき連帯保証する旨約した。

4  原告は、同日被告に対し一五万円を貸し付けた。

5  河野は昭和四六年一一月二九日から昭和四七年二月一〇日まで稼動し、その間に河野が指名されて接待にあたつた顧客の飲食代金のうち未払分は別紙のとおり合計八一万八四〇〇円であつた。

6  河野は、昭和四七年二月中旬右クラブを退店した。

7  よつて、原告は被告に対し河野の保証人として、右貸金一五万円からすでに支払ずみの七万五〇〇〇円を控除した七万五〇〇〇円と本件責任約款による河野の指名客の未払飲食代金についての支払債務八一万八四〇〇円の合計八九万三四〇〇円及びこれに対する河野が右クラブを退店した日から五日を経過した後の日である昭和四七年三月一日から支払ずみまで民事法定利率の年五分の割合による遅延損害金を支払うことを求める。

二、請求原因に対する認否

請求原因1ないし3の事実は認める。同4の事実は不知、同5の事実は不知、同6の事実は認める。同7の主張は争う。

三、被告の抗弁

1  本件責任約款の無効

(一) 河野は、いわゆるホステスとして原告の指定する時間、クラブ「ロリータ」において顧客を接待する業務に従事し、その対価として一定額の保証金(固定給)と売上高に応じた歩合金(出来高給)を得ていたのであるから、原告に従属してその労務を提供する関係、すなわち雇傭関係にあつたものである。しかして本件責任約款は右雇傭契約の締結に際し、原告が経営者としての優越的地位を利用して、経営者が負担すべき危険を回避して自ら顧客から取立てるべき飲食代金を自己の被用者であるホステスに支払わせてこれを回収しようとするものであり、いわばホステスの負担において一方的に利益を得る結果となるもので、かかる約款は公序良俗に反して無効というべきである。

(二) また、本件責任約款のもとでは、ホステスが雇傭契約を解除して退店しようとするときは、原告に顧客の飲食代金債務を弁済しなければならず、このことは結果的に退職の自由を拘束することになるから、右約款は労基法一六条、一七条の精神に反し無効というべきである。

2  消滅時効の抗弁

(一) 本件責任約款は、河野が接待した指名客の原告に対する飲食代金債務につき、河野がその支払を保証する旨を定めたものである。

(二) ところで、原告が主張する飲食代金債権は、いずれも昭和四七年二月一〇日以前に発生したものであるから遅くともその後一年の経過により右債権は全額時効によつて消滅した。したがつて右債務の副保証人である被告は、右時効を援用する。

四、抗弁に対する原告の認否

1  抗弁1についての主張は争う。ホステスにもヘルプといわれるホステスと本職のホステスの二種類があり、ヘルプは自己の指名客を持たず、代金回収の責任も負わないから雇傭関係にあるといえるが、本職のホステスは原告との間で約した一定の売上高は達成しさえすれば、勤務時間の拘束もなく相当額の報酬が保証され、その報酬も売上実績に応じて変動するものであるから、原告とホステスとの関係は対等の立場に立つ独立の営業者間の関係とみることができ、通常の雇傭契約とは異なり労基法の適用はない。また、ホステスが飲食代金の回収に努力すればそれに応じて保証金の増額、歩合金の増額があるのであるから、原告のみが一方的に利益を得るものではない。さらに退職の自由は、つぎのような慣行によつて保証されている。すなわち、ホステスがかりに未払債務金を残して退店しようとする場合には、勤務していた店の未払債務金を清算するため、つぎに勤務する店からの借入金によつてこれを清算するのが慣行であり、ホステスが一つの店を退店することは容易である。ただホステスを完全にやめる場合には、そのホステスの過去の営業成績をもにらみ合わせたうえで、一時に急速なる返済は求めないのが慣行であり、この場合にも退職の自由は保証されている。したがつて、本件責任約款はなんら公序良俗に反するものではなく、労基法一六条に違反するものでもない。また、同法一六条の趣旨は、具体的な金額として違約金もしくは損害賠償額の予定をすることを禁止しているものであるところ、本件責任約款は単に債務不履行に基づく損害賠償金を請求しうることを定めているにすぎず、過大な違約金もしくは損害賠償を予定したものではないから、この点からも労基法一六条の適用はない。

2  抗弁2(一)の主張は争う。河野が原告に対し顧客の飲食代金を支払う義務は、単なる保証契約に基づいて発生したものではなく、むしろ顧客の飲食代金債務とは直接関係はなく、原告、河野間の無名契約とでもいうべき契約によつて河野に発生した債務である。すなわち、ホステスの指各客は、ホステスとの信頼関係でクラブを接待用に使用するものであり、ホステスの自由な判断においてその指名客を接待し、店はこれに干渉しないから、原告は顧客とは面識すらない。それにもかかわらず掛売するのは、ホステスを信頼しその責任で飲食代金を回収することを義務づけるための契約、換言すれば、もし指名客から飲食代金が支払われない場合には、ホステスの責任でこれを店に立替入金すべき義務を発生させる契約を締結しているからである。また、顧客の支払もホステス宛になされ、原告は顧客からホステスへの入金の有無すら確認することができない状態にある。したがつて、店とホステス間では顧客からの入金の有無にかかわらず(原告が被告に請求している顧客の飲食代金中にはすでに顧客から河野に支払ずみのものもある。)、飲食の日から四五日ないし六〇日後に飲食代金を店に入金すべき義務が生ずるものとしているのであつて、保証契約とは異質の契約である。

同(二)の主張は争う。民法一七四条四号は、一般の飲食店における飲食代金について適用されるもので、本件の場合には適用されない。すなわち、本件責任約款は将来増減変動する債務を主たる債務として、原告との間で信用保証契約を締結したものであるから、その消滅時効期間は、原告と河野との基本的取引関係が終了した日というべき河野の退店日から五日後の翌日である昭和四七年二月一六日から起算されるべきであり、かつ、期間は一〇年間と解すべきである。これが理由がないとしても、原告、河野間には雇傭関係の面が存することは否定できないから、被告の債務は身元保証に関する法律所定の身元保証契約であると解すべきである。そうすると同法律一条所定の三年間の期間の債務について、雇傭後三年間経過した日の翌日である昭和四八年一〇月三〇日から一〇年を経過した後に消滅時効にかかるものと解すべきである。また、本件については、原告には顧客の住所、勤務先等が全くわからないまま河野が音信不通となつて、原告は債権を行使しえない状況になつたのであるから、消滅時効は進行していないというべきである。

第三  証拠〈略〉

理由

一請求原因1ないし3の事実は当事者間に争いがない。

そして、〈証拠〉によれば、請求原因4の事実を認めることができ、この認定に反する証拠はない。

〈証拠〉によれば、請求原因5の事実が認められ、これに反する証拠はない。

請求原因6の事実は当事者間に争いがない。

二そこで抗弁1について判断する。

〈証拠〉を合わせ考えると、河野が、原告の経営するクラブ「ロリータ」にいわゆるホステスとして勤務するにあたり、原告は、河野と面接のうえ勤務時間を午後七時から午後一一時三〇分までと定め、一か月の純売上高が一〇万円ないし二〇万円であることを条件として保証金と称する固定給を一日八五〇〇円とすること、純売上高が右を上廻るときは出勤時間は右より遅くてよいが、そうでない場合に遅刻すると三〇分単位で右日給の三〇パーセントずつが罰としてカットされ、早退の場合にもカットされることがとりきめられたこと、右クラブでは顧客に対する飲食の提供はすべて原告の計算に基づいてなされ、特定のホステスを指名した顧客が飲食代金を飲食当日に支払わないときには、原告は、売掛台帳の当該ホステスの勘定項目に顧客名と飲食代金の内訳明細を記帳し、通常、当該ホステスを介してその請求、集金及び入金をする方法がとられていたこと、ホステスが請求、集金する際にも、当該ホステスの名においてするのではなく、クラブ発行の領収証と一体をなす請求明細書を持参して、原告の名においてしていたこと、指名客の場合にもときにはホステスを介することなく直接原告に支払われることもあり、このときにも右と同じ請求明細書が使用されていたこと、売掛となつているときでも、ホステスが行方不明となつたり、入金が著しく遅れるようなときには原告が他の従業員に命じて直接顧客に請求することもあること、しかし、指名客の場合には原告は、その顧客の住所、勤務先等を一般的には把握していないため、本件のような、あるいは本件とは若干文言の異なる契約書が用いられることもあるがおおむね趣旨を同じくする責任約款をホステスとの間で締結することにより、飲食代金の回収をはかつていること、河野が昭和四六年一月二九日から昭和四七年二月一〇日まで右クラブに勤務して得た給料の総支給額は四一万八五五〇円、諸費用控除後の支給額は三八万六〇一〇円であり、その間に本件責任約款によつて支払うべきものとされた未払債務は、八一万八四〇〇円に達したこと、

以上の事実が認められ、この認定を左右するに足りる証拠はない。

右認定の事実によつて案ずるに、河野は原告に従属して原告の顧客を接待する労務を提供する関係にあつたものということができ、かつ本件責任約款は河野の指名客が原告に対して負担した飲食代金債務を履行しない場合に、河野がその履行の責に任ずることによつて右債務を担保する趣旨の民法上の保証契約とみることができる。そして、本件責任約款によれば主たる債務は河野の指名客の飲食代金一切というのであるから、主たる債務者となる者及び主たる債務の金額については全く制限が付せられておらず、河野としては、指名客の遊興飲食の接待をする限度で主たる債務の発生に関与するにすぎないにかかわらず、主たる債務の発生及びその金額は、河野の意思とはあまり関係なく、むしろ債権者たる原告や主たる債務者となるべき指名客の意思や都合によつて決定される関係にある。このように保証人が実質的に関与する機会がないうちに、保証額が際限なく高額になりうる保証契約は、保証人に不当に過酷な負担を強いるものといわなければならない。しかも、かかる本件責任約款は、前記雇傭契約の締結に際し、原告が経営者としての優越的地位を利用して経営者が本来負担すべき危険を回避して自ら顧客から取立てるべき飲食代金を自己の被用者であるホステスに支払わせてこれを回収しようとするもので、いわばホステスの負担において一方的に利益を得る結果となつているものといわなければならない。さらに、本件責任約款は、河野が退店しようとする際には、理由の如何を問わず、五日以内に指名客の飲食代金につき支払の責を負う旨を定めているのであるから、退職の自由を事実上制約することになるともいいうるのである(原告は、退店する場合には、つぎに勤務する店からの借入金によつて清算する慣行があると主張するか、かかる慣行があつたとしても、この判断を左右するものとは解しえない。)。

このような内容を有する本件責任約款は、公序良俗に反し無効のものというべきである。したがつて、この契約が有効であることを前提とする原告の請求部分は理由がないものといわなければならない。(なお、原告は、本訴請求金員中には、顧客が河野に支払ずみの金員に関するものが含まれている旨主張するが、全立証によつてもこれを認めうる証拠はないので、かかる支払ずみのものがある場合についての判断はしないことにする。)

しかも、すでに判示した如く、本件責任約款は民法上の保証契約としての性質を有するものであるところ、原告の主張によれば、原告の顧客に対する本件飲食代金債権は昭和四七年二月一〇日以前に発生したものといえるから、民法一七四条四号により遅くともその後一年の経過により本訴の提起される前に右債権は全額時効によつて消滅したものというべきであり、したがつて、本件責任約款が有効であるとしても、右飲食代金債権の副保証人である被告は、右時効による消滅を援用することができるのであつて、この点からいつても、原告の右請求部分は理由がないものといわなければならない。

三叙上の理由によれば、原告の本訴請求のうち貸金残金七万五〇〇〇円の保証債務の履行を求める部分、すなわち、原告が被告に対し保証債務七万五〇〇〇円及びこれに対する河野が原告のクラブを退店した日から五日を経過した後の日である昭和四七年三月一日から支払ずみまで民事法定利率の年五分の割合による遅延損害金を求める範囲内で理由があるが、本件責任約款に基づく債務の保証人としての義務の履行を求める部分は理由がないといわなければならない。

よつて、原告の本訴請求は右の範囲内でこれを認容し、その余の請求はこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法九二条、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用して主文のとおり判決する。

(小倉顕)

別紙  売掛金明細表〈略〉

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